2021年07月17日 11:30
7月17日のNHK「ブラタモリ」は「日本の石垣スペシャル」!「石垣の博物館」と呼ばれる金沢城、天下普請で加賀前田家が築いた江戸城が取り上げられます。石垣の魅力をタモリさんが存分に紹介してくれます。
ということで、いいじ金沢も便乗して、金沢城石垣特集!城めぐりと御朱印集めが趣味のエディターYが、金沢城、江戸城の石垣の魅力を8つに分けてご紹介します。
■魅力1|迫力ある巨大な割石!
まずは大きさから!巨大な割石を使った大手門(尾坂門)の石垣です。「石垣の博物館」といわれる金沢城の石垣の中でも、最大の石がこのなかに組み込まれています。巨石は「鏡石」と呼ばれ、お城の正面によく用いられたそうです。やっぱり大きい石は迫力がありますね(トップ画像参照)。
■魅力2|初期の姿を伝える数少ない遺構
金沢城には戦国末期から幕末まで、さまざまな時代の遺構が混ざり合っているのが魅力の一つ。でも、初期の姿を伝える遺構は意外と少ないです。
前田利家が金沢に入城したのは天正11年(1583)のこと。豊臣政権の重鎮として京や大坂に詰めていることが多かったのですが、金沢城の東の丸北面の石垣は利家が築き直したものといわれています。城内でももっとも古い「野面積み」の技法が用いられています。
■魅力3|石の積み方もいろいろ!
石垣の石の積み方には、主に「自然石積み」「粗加工石積み」「切石積み」の3つがあります。石の積み方・加工の仕方が、積まれた時代の技術や社会情勢、美意識の高まりで異なっています。城内を歩きながら石垣を見てみると、その表情が全然違っているのがわかると思います。工法の違いも解説してくれています。
■魅力4|滝と一体となった究極アート!
2015年3月に復元された玉泉院丸庭園にある、「色紙短冊積石垣」は石垣の上部に滝を組み込んだ特別な石垣です。前田家のプライベートな場だったため、遊び心に富んでいます。
縦横きれいな直線に成形された石材は色とりどりで、精緻に組み合わされています。V字型の石樋をしつらえ、往時には水が落ち、段落ちの滝に通じていました。石垣の技術と庭園の意匠が見事に融合した、全国でもここでしか見られない、金沢城ならではの傑作と言われています。
■魅力5|石垣で家紋探し!
金沢城の石垣には、いろんな形をした「刻印」がたくさん残されています。普請(建設)を担当した家臣の識別や、石積みのための符牒として印されたようで、金沢城の石垣全体でなんと1,400余りあるとか。
特に数寄屋敷石垣は刻印がずらりと並んで特に壮観です。ご自分の家紋と似た刻印がないか、夏休みにぜひ探しに行ってはいかがでしょうか。
■魅力6|階段状の石垣?防衛上の大きな欠点?!
金沢城の南東(辰巳)の角にある3段に積まれた石垣が辰巳櫓跡です。石垣の最上部は道路から30m以上の高さにあり見上げると壮観ですが、戦略上、重要な櫓の石垣が階段状になっているのは防衛上の大きな欠点です。石垣はたやすく登れると意味がないですからね。
前田家が去って明治時代に「城主」となった陸軍師団が、崩れた石垣を今の形に復元したため階段状になりました。近代戦になると、石垣に期待する防衛機能は少なかったんですね。
■魅力7|茜色に染まる「いもり堀」
個人的に好きな光景が「いもり堀」から眺める夕暮れの金沢城です。「石垣の博物館」といわれる自慢の石垣が、茜色に染まってとてもキレイです。
そういえば、いもり堀は昔テニスコートでしたね。秋の夕暮れ、夜長にちょっとおでかけしてみるのも良さそうですね。
■魅力8|「天下普請」で前田家が築いた江戸城天守台
明治維新で東京奠都されて以来、徳川将軍が君臨した江戸城に天皇が入られました。「皇城」「宮城」とも呼ばれ、150年にわたり皇居になっています。
現在残る天守台(天守閣の石垣)は、明暦の大火で焼失したことを受け再建されたものですが、その普請を加賀藩5代、前田綱紀が担いました。諸大名の力を削ぐためにカネを使わせる、いわゆる「天下普請」です。
天守台は東西約41m、南北約45m、御影石でできています。間近で見るとその巨大さが分かりますよ。当初は天守閣の再建も計画されていましたが、大火で大きな被害を受けた江戸の街の復興を優先し、二度と再建されることはありませんでした。
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語りきれないほどの魅力が詰まっている金沢城。趣味が高じて長文になってしまいましたがご容赦ください。ぜひこの夏、石垣の博物館の異名を取る金沢城へ「城攻め」に行ってみてください。
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