2021年01月21日 19:30
小松高校の校内に残る小松城天守台。小松城は梯川(かけはしがわ)の南岸にあって、川の水を低湿地に引き入れ、何重もの水堀が巡らされたまさに典型的な「水城」でした。堀の中に8つの島が浮かぶ構造から「浮城(うきしろ)」と呼ばれていました。
小松城はもともと一向一揆が築いた砦で、村上頼勝、丹羽長重の城主時代を経て、関ヶ原の戦い後に加賀藩前田家の所領となりました。元和元年(1615)の「一国一城令」で廃城となりましたが、寛永16年(1639)に例外として、3代藩主前田利常の隠居城として修復されました。
見どころは美しい石垣です。京都「桂離宮」の造営にも多大な功績があった文化大名・利常の美意識が反映されています。直線的に整形した石を隙間なく積み上げる「切込接(きりこみはぎ)」という技法も取られ、石材は金沢城にも使用されている戸室石(とむろいし)が使われています。
小松城には天守は築かれませんでしたが、天守の代用として三階櫓が建っていました。天守台へ登ることは禁止されていましたが、柵や階段手すりなどが整備され登れるようになっています。城下や白山、梯川が一望できますよ。
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