2019年03月15日 6:30
明治・大正時代の民俗学者であり、国文学者であり、そして歌人でもあった折口信夫(しのぶ)博士。柳田國男の高弟で、民俗学の基礎を築きました。
一方、羽咋出身の折口春洋(はるみ)は信夫の養子となりましたが、間もなく硫黄島で戦死しました。春洋の死を嘆いた信夫は、1949年7月、春洋の生家の墓地に自らと連名の墓を建てました。
「もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその父 信夫の墓」
大通りから少し入ったところにありますが、案内板が丁寧につけられていますので迷わず訪問できます。近くの気多大社の境内には父子の歌碑が、神社裏手の池のほとりには折口信夫の句碑があります。
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