2018年11月02日 6:30
標高70mほどの錦城山に築かれた大聖寺城。南北朝時代の軍記物語「太平記」に初めてその名が見られ、元和元年(1615)一国一城令により廃城となるまで、重要な軍事拠点として位置付けられていました。
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦の際に徳川方についた前田利長は、豊臣方の山口玄蕃を圧倒的兵力で攻め立て、山口父子はじめ多くの将兵を討ち取りました。廃城後は「お止め山」として入山が厳しく禁止されたため、遺構の保存状態は良好で多くの曲輪や土塁、空堀などが残っています。
興味深いのが「贋金造りの洞穴」です。明治元年、新政府より北越戦争の弾薬供出を命じられた大聖寺藩は、この洞穴の中で銀製品をとかしてニセ金を製造したそうです。通貨として広く流通させたそうですが、のちに事が露見、責任者が切腹させられました。まさに城に歴史あり、ですね。
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