2021年09月02日 14:00
木越団地にほど近い県道200号千田町交差点の近くに、戦国時代、加賀の守護・富樫政親を攻め滅ぼした一向一揆の大坊主として活躍した「木越山光徳寺の跡」があります。
そのお隣には「八坂神社の森」が見えます。
同寺は、鎌倉時代に加賀の守護・富樫仏誓の孫の宗性が木越に創建したと伝えられています。
それから約200年後の戦国時代に、光徳寺の第七代・現道が一揆の指導者として富樫氏を滅ぼすのですから、歴史の皮肉を感じます。
その後、光徳寺は織田信長方の兵によって陥落し、鳳至郡黒島(現輪島市)に逃れた後、加賀藩主・前田利家の命により七尾市馬出町(現在地)に移りました。
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