2018年04月19日 7:00
4月16日付の北國新聞1面に、七尾城の庭園跡とみられる場所と庭石とみられる石が見つかったニュースが載っていました。城主だった畠山氏は1577年に上杉謙信に討たれますが、戦国時代きっての文化人大名で、京都から多くの文人を招き、七尾城でたびたび和歌や連歌の会を催しました。そんな風雅の道に通じた城主の城だっただけに、庭園もさぞ趣のあるものだったと思われます。
今年3月に七尾城跡を訪れた後だけに、このニュースを見て一層七尾城の魅力に惹かれ、名城とうたわれた七尾城の庭園の景色を想像したりしています。その際の記事はこちら→https://iijikanazawa.com/news/contributiondetail.php?cid=4242
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