2020年04月01日 7:00
百万石の禄高を誇った加賀藩の領地が加賀・越中・能登にまたがっていたことはよく知られていますが、江戸時代のうちの短期間ではありますが、七尾市に加賀藩とは別の小さな藩が存在したことはあまり知られていません。
一つは江戸時代前半の元禄2~8年(1689~1695)に七尾市田鶴浜町に存在した「能登下村藩」です。徳川幕府の譜代大名の鳥居家が不祥事により信濃の領地を没収されましたが、名門の家ゆえにお家取りつぶしをまぬがれ、特別に元禄2~8年までわずか1万石の能登下村藩の立藩を許されました。その後、鳥居家は近江の水口藩に移り、能登の1万石は幕府領となりました。
また、元禄11~13年(1698~1700)には、七尾市に1万石の西谷藩が存在しました。これは、備後の福山藩の水野家が跡継ぎがいなくていったん取りつぶされたものの、譜代の名門ゆえに一族の者に能登の1万石を与えて家名存続を認め、その後、下総の結城藩に移されました。その能登の領地もその後、幕府領となっています。
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