2022年08月15日 18:30
今年は終戦から77年。市内に残る戦争遺構を紹介します。
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卯辰山の「殉難おとめの像」。
『卯辰山碑マップ』によると、正式には「殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像」とのこと。
「昭和20年(1945)8月7日、愛知県豊川市の豊川海軍工場が空襲に遭い、石川県からの女子挺身隊員も52名の犠牲者を出した。この隊員の慰霊のために建てられたもの」とあります。
像の前には水芦光子の挽歌があり、「これやこの少女ら 生きてあれば いまは人の妻 子の母なるを…」を読むと、胸が苦しくなります。
女子挺身隊令にもとづく県内初の動員で、赤紙ならぬ白紙の令状1枚を受け取った乙女ら。
此花町国民学校で行われた壮行会で、隊長の千田静子さんは健気にもこう宣誓しました。
殉難おとめの像に合祀されたのは52人ですが、その他の場所で殉難した石川県の乙女も合わせると460人にもなるとか。
像は卯辰山相撲場奥の高台にあります。相撲場入口の案内板。
途中、相撲場を一望できます。
この階段の上にあります。分かりづらい場所にあり、足場も良くないので、歩きやすい格好で行きましょう。
<参考>橋本哲哉・林宥一『石川県の百年』(1987、山川出版社)
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