2021年11月13日 21:30
11月14日は「パチンコの日」です。1979(昭和54)年、全国遊技業協同組合連合会(現全日本遊技事業協同組合連合会)がこの日を「パチンコの日」と制定しました。
パチンコのルーツは諸説ありますが、「パチンコという名前は金沢で生まれた」とされる説があります。
■原型はコリントゲーム?
パチンコの起源は1920(大正9)年に欧米から輸入された「バカデル」や「コリントゲーム」なるゲーム機だといわれています。
「コリントゲーム」はデトロイトにある会社が1900年代初頭に特許を取得したゲーム機で、形状はスマートボールによく似ているそうです。
ゆるやかな傾斜をつけた木製の盤にたくさんの釘が打ち付けてあり、棒で鉄球を弾いてポケットの中に入れていくゲームです。ポケットには10点、20点など点数が記されていて、点数を競い合います。昭和初期には子どもたちも含め熱中する人が多く現れたそうです。
■縦型か横型か?
大正末期になると「コリントゲーム」を改良した機種が大阪で誕生します。投入口に一銭銅貨を入れると鉄球が出てきて、点数によって一銭銅貨が払い戻される仕組みだったそうです。いまのパチンコのシステムと同じですね。
「コリントゲーム」はスマートボールのような形なのでいわゆる横置き型。パチンコ台は縦置き型ですね。最近では、こうした横置き型の仕様ではなく、縦型のゲーム機が欧州各地に点在していたことが分かっており、こちらをルーツとする考え方が主流になっているそうです。
■金沢の歳田精一が元祖機を開発
一説には1924(大正13)年、金沢の歳田精一が元祖パチンコ機「歳田式パチンコ機」を開発し、日本全国に広がっていったと言われます。のち、天皇陛下が描かれた一銭銅貨を賭け事に使うのは畏れ多いということで、代わりにメダルが使用されるようになったとか。
発祥地は「歳田式」を生んだ金沢、「コリントゲーム」を改良した大阪、そして近代パチンコ発祥の地といわれる名古屋など諸説あります。
■「パチパチ+ガチャンコ」
パチンコ自体の発祥の他に、「パチンコ」という名称が金沢で生まれたという説もあります。
全国にパチンコが普及していくなかで、関西では「パチパチ」、関東では「ガチャン」「ガチャンコ」と呼ばれるようになっていったそうです。
金沢はその中間に位置することから「パチパチ」+「ガチャンコ」の愛称が混ざり合って「パチンコ」という名称が生まれたのかもしれません。詳細は分かりません。
「パチンコ」の名称が定着した時期も詳しくは分かりません。新派の名女優、市川翠扇(紅梅)が1952(昭和27)年の随筆で「(昭和初期のパチンコは)機械の騒音からくるガチャンという名前で呼ばれていた」と回想しているところから、戦中から戦後にかけて定着していったものと思われます。
■「孫子(まごこ)の代までつづく」
1948(昭和23)年、「パチンコの父」「パチンコの神様」といわれる正村竹一氏が、現在のパチンコの基本となる画期的な釘配列「正村ゲージ」を考案しました。名古屋が近代パチンコ発祥の地といわれる所以ですね。
スリルと意外性という遊びとしての面白さが増し、今日の隆盛を築きました。「パチンコは孫子の代までつづく」という正村の言葉の通り今でも多くの人々を魅了し続けています。
《参考資料》
能登印刷出版部『金沢謎解き街歩き』(2015年 実業之日本社)
パチンコ業界WEB資料室
http://pachinko-shiryoshitsu.jp/structure-industry/history/
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