2021年10月26日 19:30
石川、富山の県境越えといえば、古来から倶利伽羅峠、今は倶利伽羅トンネルですが、明治天皇北陸巡幸の際は天田峠(あまだとうげ)がその役割を果たしました。
1878(明治11)年の明治天皇行幸の際、倶利伽羅峠の急坂では輿や馬車が通れないということで、倶利伽羅よりも少し北側の天田峠に急遽新道が作られました。
天皇巡幸に際して大げさな道路改修は不要とのお達しが出ていましたが、通行の難所を取り除くため急ごしらえで作られました。ちなみに当時は、富山は富山県ではなく石川県(いわゆる大石川県)でした。
輿が通れるように改修はされましたが、それでも地名(九折)の通り、つづら折れの急坂だったようです。現在は勾配がそれなりの2車線道路がついてアクセスも容易ですが、峠に建てられた改修記念碑にその歴史が綴られています。
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