2020年05月24日 7:00
明治6年(1873)に尾山神社が建てられるまで、前田利家の神霊は、卯辰山山麓の卯辰八幡宮(後に「宇多須神社」と改称)に合祀されていました。
なぜなら、二代藩主・前田利長は、外様大名の立場から徳川幕府の目をはばかり、城内に藩祖・前田利家を祀るようなことはせず、越中の物部八幡宮と榊葉神明宮を守護神として卯辰山山麓に遷座して卯辰八幡宮とし、そこに父・利家を合祀しました。
明治時代を迎えて幕府の目を気にする必要はなくなり、現在地に尾山神社を建てて卯辰八幡宮から利家の神霊を遷座しました。
その後、卯辰八幡宮は、背景の卯辰山の本名・宇田須山にちなんで「宇多須神社」と改称したのです。
尾山神社と宇多須神社にはそのような歴史がありました。
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