2020年03月18日 7:00
加賀藩の万石家老を務めた「加賀八家」の一つ長家は、トップの本多家50000石に次ぐ33000石の禄高を誇っていました。金沢市玉川図書館横の玉川公園に長家の屋敷がありました。
長家の始祖である長谷部信連(はせべのぶつら)は『平家物語』にも登場する鎌倉武士で、源頼朝によって穴水町から輪島市にかけての地域の地頭(じとう)に任じられました。今から800年以上も前のことです。
室町時代は、能登の守護・畠山氏の家臣を務めましたが、戦国時代、上杉謙信に内通したほかの家臣の謀略で一族の多くが殺され、かろうじて生き残った長連龍(つらたつ)が織田信長の能登・加賀平定を助け、能登の鹿島郡の半分の領地を手に入れます。この領地は江戸時代(1603年~)に入っても長家のものとして安堵され、鹿島郡の中心部の田鶴浜(現在の七尾市田鶴浜)に長家の館(やかた)がありました。長家だけは他の家老と違って藩主前田家の与力大名のような位置付けにありました。
その後、長家の家臣団の内紛が起きたのを機に、藩主前田家は寛文11年(1671)に鹿島郡の領地を取り上げ、代わりに33000石の禄高を支給しました。幾多の危機を乗り越え、800年以上も生き抜いてきた長家は凄いです。
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