2022年12月25日 20:00
現在、わが国で生産される金箔のほぼ100%が金沢で生産されていますが、江戸時代、徳川幕府が元禄9年(1696)に江戸の箔座以外での金箔製造を禁止してからは、金沢の箔打ちは表向きは途絶えたことになっています。
しかし、加賀藩三代藩主・前田利常(1593~1658)が工芸品を作る細工所(さいくしょ) を立ち上げて以降、蒔絵などを含む工芸品製造は急速に発展したので、密(ひそ)かに金箔製造は続けられていたのは間違いないと思われます。
文化5年(1808)に金沢城二の丸御殿が全焼し、再建のために大量の金箔が必要となり、加賀藩は幕府に願い出て京都から優れた箔打ち職人を招いて金箔を製造しました。その後も幕府の箔打ち統制は続きますが、金沢で箔打ちを盛んにしようとする機運が高まり、かねてより加賀藩を通じて幕府から金箔の販売権を得ていた金沢の町人・能登屋(越野)佐助が、幕末の元治元年(1864)、幕府から金箔製造の許可を得ました。
加賀藩で堂々と箔打ちをできるようになったのが幕末だったとは驚きですが、明治以降、箔打ちの統制がなくなってから金沢の金箔の独占的地位が確立されています。 越野佐助の墓は東山2丁目の浄土宗・誓願寺にあります。かつて箔打ち職人がたくさんいた東山の金沢市立安江金箔工芸館は、当地での金箔工芸の歴史を今に伝えています。
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