2020年01月09日 20:30
金沢を代表する観光地といえば「ひがし茶屋街」が浮かびますね。紅殻格子(べんがらこうし)の木虫籠(きむすこ)が風情を醸し出しています。1820(文政3)年に加賀藩から「東の廓」として公許され、金沢で最高の格式を誇る茶屋街として発展してきました。
江戸から明治にかけて、金沢市内には6カ所の遊郭があったそうです(東・愛宕・西・石坂・主計・北)。東を筆頭に、西、主計とも現在では観光名所となっていますが、この中では「北の廓」はあまり知られていません。
「北の廓」は1885(明治18)年、武蔵ヶ辻界わいの旧栄町・旧松ヶ枝町に設置され、東、西に匹敵する規模だったそうです。ところが1897(明治30)年、「(金沢にも)鉄道が開通し、世は文明開化というのに、いまだ遊郭が街の真ん中に居座るとはもってのほか」「風教ヲ害シ教育ニ害アル」として、北の廓は移転させられました。
近代的玄関口の金沢駅と第9師団司令部が置かれた旧金沢城を結ぶ「枢要の地」に、それも小学校の至近に、前近代的な遊郭があるのはけしからんということが理由でした。
現在、こうした経緯があったからか跡地には何も残っていません。移転させられる理由の一つとなった小学校も今は昔。代表的な観光地となったひがし、にし、主計とはこうも違うんですね。残された資料も少ないため調査・研究するにしても難儀しているそうですから、当時のことを聞いたことがある人がいれば、ぜひ教えてください。
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