2019年11月16日 7:00
幕末に北前船交易で巨万の富を築き全国に支店を持っていた銭屋五兵衛は、海外とも交易していたと伝えられています。
江戸時代は出島以外での外国との交易は密貿易でしたが、ある本で「幕府は銭五の密貿易を見逃していた」との記述を目にしました。
その本では、幕府の重臣であった勝海舟のもとに明治20年代、加賀の国文学者・国府犀東が出入りしていて、勝から「幕府は加賀の銭五の密貿易を知っていたが、見逃していた」と聞いたそうです。国府はその後、金沢市の知人にその話をして、その知人が郷土史家に話したというのです。その郷土史家は平成の時代まで生きたので、「また聞き」の話といっても、かなり信憑性があると思います。
銭五は藩政の実権を握っていた奥村栄実を後ろ盾としていましたが、奥村の死後、反対勢力の黒羽織党からにらまれ、河北潟干拓に際して潟に毒を流した疑いで投獄され、獄死します。
加賀藩に多額の献金をしていた銭五の「密貿易」は、加賀藩も黙認していたと思いますが、幕府も黙認していたとしたら、加賀藩に気を遣ってのことだと推測します。海の豪商といわれた銭五ですが、権力者の交代に伴う荒波は乗り切れなかったということでしょうか。
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