2022年12月10日 18:00
大乗寺の境内に「日本最後の仇討ち 十二義士の墓この奥にあり」の石碑があり、その奥に「十二義士の墓」が並んで建っています。
大政奉還により加賀藩が金沢藩になった明治2年(1869)、金沢藩の筆頭家老・本多政均(まさちか)が、政均の政治に反感を持っていた藩士たちに金沢城内で暗殺されました。暗殺の実行犯2人は処刑されましたが、共犯者は謹慎などの軽い処分ですみました。
ところが、政均の家臣たちは共犯者たちを追い詰め、主君の仇を討ちました。
仇討ちをした15人のうち12人は切腹を命じられ、「十二義士」として政均の眠る墓の近くに葬られました。
まさに金沢版の「忠臣蔵」であり、明治に起きた「日本最後の仇討ち」として語り継がれています。
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