2019年08月18日 7:00
山の上町から卯辰山公園線の道路を山頂に向かって走り始めて300mくらい進んだ右側の道路脇に、「春日山焼窯跡」の看板がひっそりと立っています。
そこに窯跡の形跡は見られず、注意して見ないとその看板の存在すら気付きません。
古九谷焼の窯が廃止となってから約100年を経た文化4年(1807)に、加賀藩は産業奨励を目的に京都から名工・青木木米を招き、金沢の春日山(卯辰山)に春日山焼の窯を開きました。
この窯は10年余りしか続きませんでしたが、春日山焼を皮切りに古九谷の技法を受け継ぎながらも多様な作風を打ち出した再興九谷が花開いた歴史を振り返ると、再興九谷の最初の窯としての春日山焼の重要性を実感します。
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