2019年08月03日 9:30
明治44年に南極を探検した白瀬中尉はよく知られていますが、その探検船の「開南丸」の船長を務めた野村直吉がが羽咋市一ノ宮町出身であることはあまり知られていません。
木造船の開南丸は全長33.48m、幅7.85mで、入港や出港時の補助エンジンを付けただけの帆船でした。もちろん砕氷機能などありません。現在の南極観測船の二代目ふじは全長138m、幅28mで大きさだけ見ても開南丸の4倍で、砕氷機能をはじめ最新の航行、観測機能を備えています。
開南丸の南極探検は「漁船で南極へ行くようなもの」と形容されたそうですが、そんな小さな船で無事、南極大陸へ到着させた野村船長の操船技術はまさに神業だったと思います。あの明治時代に、想像を絶する困難を超えて奇跡の南極到達を遂げた野村船長の勇気、気概、操船技術は驚嘆に値するものです。そんな凄い偉人が郷土から出たことに驚きを感じています。
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