2019年06月05日 7:00
津幡川下流の川尻水門のすぐそばに、「ヨーバ跡」について説明した看板が立っています。
江戸時代から、明治・大正を経て昭和21年まで、河北潟と津幡川を往来していたテント船(帆かけ船)は、旧美川町や河北潟周辺の村々からの物資を運び、川尻のヨーバで積み替え、津幡川上流の村までその物資を運ぶ中継地になっていました。
つまり、小さな港のような役割を果たしていたのです。今の川尻水門のあたりは、フナ釣りの名所になっていますが、そんな水運の拠点の歴史が昭和初期まで続いていたのです。
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