2019年03月20日 7:00
新竪町商店街の通りと新竪町小学校の間に、明治・大正・昭和初期の我が国の言論界で活躍した三宅雪嶺(1860~1945)の生誕碑があります。
幕末にこの地に生まれた三宅雪嶺は東大哲学科を卒業後、文部省勤務を経て雑誌『日本人』を創刊し、在野のジャーナリストとして活躍しました。
極端な西洋化を戒め、東西文明合流を提唱し、政府にも鋭い批判の刃を向けた三宅は、古今東西の広い学識と先見の明で知られ、京都帝大総長や文部大臣への就任要請を受けましたが、いずれも辞退しています。
地位や出生よりも、自身の理念と主義主張を貫いた気骨の言論人でした。
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