2019年01月19日 7:00
金沢城の敷地には江戸時代の前の戦国時代、本願寺の加賀統治の拠点である金沢御坊(尾山御坊)がありました。金沢城の極楽橋はその名残です。金沢御坊の周りに作られた寺内町が金沢のまちのおこりであり、今に残る近江町、西町、堤町、南町がその寺内町に含まれていました。
金沢御坊建設の中心人物は本願寺九世法主の実如(じつにょ)で、加賀藩主前田家がその跡地の金沢城で繁栄した歴史を見ると、実如の土地の発展性(地相)を見る目は確かだったようです。
ちなみに、豊臣秀吉は、本願寺八世法主の蓮如(れんにょ)が開いた石山本願寺の跡地に大坂城を築き、大阪を繁栄させました。蓮如の地相を見る目も確かだったといわれます。
金沢城、大坂城を中心に発展したその後の両方のまちの歴史を振り返ると、確かに蓮如、実如には地相を見抜く不思議な力があったような気がします。
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