2018年12月16日 6:30
片町から涌波へ進み、涌波一丁目南交差点を左折して少し進むと「土清水塩硝蔵跡」があります。加賀藩は領内の越中五箇山で作らせた黒色火薬の原料の塩硝を土清水塩硝蔵へ運び、加工して黒色火薬を製造していました。
ここで作られる良質で大量の黒色火薬は、加賀藩の収入源であっただけでなく、常に加賀藩を警戒していた幕府に対する「わが藩に手を出すと痛い目に遭うぞ」という防衛力を持っていたと思われます。御細工所で全国に誇る美しい工芸品を生み出す一方で、塩硝蔵で他藩をしのぐ大量の火薬を製造していた加賀藩は、硬軟織り交ぜた高度な政策で必死に百万石の身代を守っていたのだと思います。
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