2021年08月15日 17:30
運転免許の更新などで誰もが訪れている河北潟に近い「県運転免許センター」。
この敷地は終戦の昭和20年まで「金沢愛国飛行場」でした。
延長700m、幅200mの主要滑走路と2本の補助滑走路があったそうです。
昭和10年の同飛行場建設協会創立発起人会には当時の県知事、金沢市長、金沢商工会議所会頭らが名を連ねていました。
当初は防空上の機能を意識した飛行場でしたが、昭和14年からは民間旅客定期便も開設され、金沢―東京、金沢―大阪などの航路を毎日、プロペラ機が往復したそうです。
昭和16年に第二次世界大戦が勃発してからはすべての飛行機が軍用に回されたため、民間活用飛行場としては短い生涯でした。
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