2018年09月23日 6:30
卯辰山中腹の菖蒲園の近くに、14代加賀藩主・前田慶寧(よしやす)が1867(慶応3)年に造った養生所の跡があります。福沢諭吉の『西洋事情』に触発されたた慶寧公は殖産興業、医療施設開設、娯楽施設開設を目的に卯辰山開発に着手しました。
養生所は臨床治療と医学研究を行う使命を担っていました。卯辰山開発は明治期に入ってとん挫しますが、医療も含め金沢の近代化の草分けになりました。加賀藩は明治維新のバスに乗り遅れましたが、最後の藩主は進取の気性の持ち主だったようです。
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