2018年09月16日 6:30
明治2年(1869)、廃藩置県前の金沢藩に長崎の浦上村から強制的に送られたキリスト教徒約500人は、卯辰山の湯座屋谷の牢獄に幽閉されました。明治6(1873)年にキリスト教が解禁されるまでに、そのうちの100人余りが飢えや病気で命を落としました。
卯辰山の望湖台の近くの湯座屋谷にひっそりと立つ「長崎キリシタン殉教者の碑」は、亡くなった殉教者の悲しい物語を静かに今に伝えています。
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