2017年12月02日 16:58
万葉集には能登に関する和歌がいくつか残されています。これは、天平20年(748)に、越中国の国司として大伴家持が能登巡行しているからですが、その際、氷見市と宝達志水町に跨る臼ヶ峰往来を通り、まず羽咋の気多大社へ参拝に向かったと伝えられています。
その道中に詠った和歌が「之乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば 羽咋の海(み) 朝凪ぎしたり 船梶(ふねかじ)もがも」。内容は、「之乎路からまっすぐに山を越えて来たら海は風もなく穏やかだ。船と梶があればいいのだが」というような意味とのこと。巡行には様々に苦悩があったのだろうと思いますが、羽咋の海が少しでも家持の心を和ませることができたと信じたいものです。
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