2020年10月19日 19:15
加賀市篠原新町にある「実盛塚(さねもりづか)」は、源平争乱の中で命を落とした斎藤実盛を供養するために、実盛の亡骸を葬ったところと伝えられてます。
寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲軍に大敗した平家軍は、篠原で陣を立て直し再び合戦に及びます。平家軍は士気が上がらず敗走する中、斉藤別当実盛の一隊だけが義仲軍と対峙し奮戦しました。
実盛は義を重んじる武将として知られ、久寿2年(1155)の大蔵合戦で父・源義賢を討たれた2歳の駒王丸(木曽義仲)を木曽まで送り届けていました。実盛は義仲から見ると敵将であるとともに、命の恩人でもあったわけです。
実盛は73歳という高齢でしたが、最期は若々しく戦いたいと白髪の頭を黒く染め、義仲配下の手塚太郎光森と一騎打ちに及び、討ち取られてしまいました。この話を聞いた義仲が、実盛の遺骸をこの地に手厚く葬ったと言われています。
義仲が実盛の首を洗ったといわれる「首洗池」。実盛塚から車で5分ほどのところにあります。
「首洗池」の記事はこちら。
https://iijikanazawa.com/news/contributiondetail.php?cid=4497
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