2023年07月25日 19:30
道の駅倶利伽羅塾近く、歴史国道「北陸道」の出発点である竹橋(たけのはし)は、江戸時代、交通と物流の拠点に指定された宿駅(宿場)として栄えました。
江戸時代末期から本陣に指定されていた七野屋には、東大の赤門で有名な前田家へ嫁いだ溶姫(ようひめ・やすひめ)が休憩したという記録が残っているそうです。11代将軍・徳川家斉の娘だった溶姫のお国入り行列は、加賀藩主の参勤交代を上回る規模だったとか。
七野屋は近世後期より酒造、醤油業、金融業を営み、竹橋宿全体を統括する伝馬肝煎(でんまきもいり)と算用聞(さんようぎき)も兼ねていましたが、1883(明治16)年の大火で焼失し、屋敷跡には道標だけが建っています。
道路元標は、明治初期の里程調査のために建てられたもの(里程元標)と、大正期に旧道路法施行令が公布された時に建てられたものがあり、各市町村に1個ずつ設置されました。いわば、その市町村の道路の“一丁目一番地” “はじまり”ですね。
1887(明治20)年、本陣跡に建てられた「倶利伽羅村道路元標」は小さな石柱ですが、大名行列を超える溶姫様のお国入り行列を今に伝えています。
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