2022年08月14日 17:30
今年は終戦から77年。市内に残る戦争遺構を紹介します。
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石引の二十人坂は、「桜のトンネル」で知られる情緒的な坂ですよね。
坂下には辰巳用水の分流である勘太郎川が流れており、坂と川、家々が入り組んだ、独特な光景が広がっています。
その勘太郎川は、坂の真下ではトンネルになっており、かつて防空壕がわりに使われたそうです。
終戦直前の昭和20年(1945)8月1日夜半から2日にかけて、富山大空襲がありました。
市街地の99%以上が一瞬にして焦土と化し、当時津幡町に疎開していた女優の故・野際陽子さんも「東の空が真っ赤に染まった」と話したといいます。
この富山大空襲の際、周辺住民の防空壕がわりに使われたのがこのトンネルだそうです。
見るからに頑丈そうだし、水位も低いので、ここなら隠れやすそうな雰囲気ですね。
実際に利用した人の証言も、先日の新聞で掲載されていました。
昭和18年(1943)には金沢にもB29の機影が何回か確認されていましたし、富山大空襲の前には福井市でも空襲があったので、当時の金沢市民は「次は金沢」と恐怖したそうです。
実際には金沢に大規模空襲が無かったためにこのトンネルも残っているわけで、まさに空襲の生き証人ですね。
なお、金沢が空襲を免れた理由について、巷にあふれる「歴史ある町だから」「順番が来る前に終戦を迎えた」という説は、否定されつつあります。
近年の研究から、終戦直前に爆撃の目標リストから外されたことが確認されてるのです。
おそらく本土決戦を前に米軍の攻撃目標が変更され、師団司令部が置かれたものの「空襲の戦略的効果が薄い」と判断されたため、と言われています。
一歩間違えば……ですね。
ともあれ、空襲を免れたおかげで藩政期の街並みが今でも残る「歴史都市」になったわけですから、現代に生きる我々に与えた影響は計り知れません。
【参考】本康宏史『百万石ブランドの源流 モダンから見た伝統文化』(2019、能登印刷出版部)
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