2021年03月14日 8:30 

【雑学金沢#5】武蔵に「激震」名鉄がエムザ売却!「めいてつ・エムザ」の歴史をおさらいします

めいてつ・エムザの看板

今週、金沢の都心軸「武蔵」に激震が走りましたね。名古屋鉄道が「めいてつ・エムザ」と「ANAホリデイ・イン金沢スカイ」を3月31日付けで売却すると発表しました。 名鉄が出資して約60年、「めいてつ・エムザ」は武蔵地区の旗艦店として存在感を放ってきました。感謝の気持ちとこれからの期待を込めて、「めいてつ・エムザ」の歴史をちょっとおさらいしましょう。

めいてつ・エムザの外観

エムザの前身は、現社名の「金沢名鉄丸越百貨店」。その歴史は「三越金沢支店」の誘致開業から始まります。ずっと現在地にあったのかと思ってしまいますが、当初ははす向かい、現在「かなざわはこまち」(旧ダイエー跡地)が建っている場所にありました。

昭和6年の武蔵交差点の写真

昭和6年の武蔵交差点。左手のビルが「三越」(c)能登印刷出版部

三越がわずか5年で撤退すると、「丸越」として衣替え。戦時中は国策統合により「大和」と合併、丸越のビルは航空機の部品工場になったそうです。戦後はライバルの大和とともに金沢の経済界を牽引、1953年、双方の経営者が米軍内灘試射場(内灘闘争)を巡って参院選でぶつかると、『「武蔵」対「大和」の内灘沖会戦』と呼ばれました。

1962年に名古屋鉄道と資本提携します。金沢駅前への店舗移転も取り沙汰されましたが、1973年に武蔵ヶ辻第二地区再開発により「金沢スカイビル」が完成すると、現在地に移転します。 18階建て高さ70mを誇るスカイビルは当時、日本海側随一の高層ビルで、1990年に金沢全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル金沢)に抜かれるまで、17年にわたり金沢一の高層ビルとして「君臨」しました。

めいてつ・エムザの歴史年表

2002年には隣接するスカイプラザと統合し「めいてつ・エムザ」と名称変更。2014年には金沢土産を扱う「黒門小路」がオープン、北陸新幹線金沢開業に合わせて観光客向けの品揃えを拡充しました。 「エムザ」の愛称がほぼ定着しましたが、「めいてつ」と呼ぶ方も多いですよね(年配の方は「丸越」とも)。4月からはついに「めいてつ」の文字が消えてしまいます。

現在の武蔵交差点の写真

武蔵の浮沈はヒーローが握る?!

幾多の荒波を乗り越えてきた「めいてつ・エムザ」も、デパート不況とコロナ禍で業績不振に陥っています。経営を引き継ぐ株式会社ヒーロー(本社・茨城県牛久市)によって百貨店営業が継続されるのか、あるいは転売されてしまうのかーー 今後の動向がとても気になりますが、これからも“武蔵の顔”として求心力を保っていってほしいと思います。 * * * * * 【雑学金沢】は、金沢をはじめ石川県内各地の自然・歴史・生活・文化など、知っているとちょっと得する?!「いいじ」な雑学を連載します。金沢に関するちょっとしたギモンや不思議などを勝手に調査・解説し、金沢のまちの懐の深さを掘り下げます。

スポット情報

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いいじ金沢( いいじかなざわ )

住所:
〒920-0863
金沢市玉川町6-30
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https://iijikanazawa.com/
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