2017年12月22日 7:00
「福者」として正式にローマ法王の承認を受けた、キリシタン大名・高山右近。その墓が志賀町にあるって知っていましたか?
大名の地位を捨ててまでキリシタンの信仰を守った右近は、一時、加賀前田家の客将としてこの地に滞在、金沢城の修築や惣構堀の建設などを主導した城づくりの名人でした。
慶長19年(1614)、徳川幕府のキリシタン禁教令によってルソン島マニラへと追放され、その地で没しました。妻子もその後を断ったものと思われていましたが、実際には志賀町代田と大分県にその子孫が残っていたそうです。
家伝によれば、マニラから帰国した右近の孫の一人が、右近の知行地であった志賀町末吉に腰を落ち着け、その子孫は代々医者をしていたそうです。しかしキリシタンゆえに数々の迫害にあったことから、一時北海道に移住し、信教の自由が許された大正の初めに能登の田鶴浜に住み、その後現在の志賀町代田に定住したそうです。
右近の墓がある志賀町末吉には高山右近記念公園があり、高山右近の像が建立されています。クリスマスを前に、歴史に想いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。
*墓は山の中にあります。徒歩5分ほどですが、訪問の際は足元に気をつけてください。
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