2019年02月08日 6:30
鶴来・金劔宮の境内、不動滝の近くに小川幸三旧宅跡の碑が立っています。小川幸三は幕末の尊攘派で、加賀藩の数少ない勤王の志士です。
「医は病を救うのみだが、天下を救う術を学びたい」と町医師の子から加賀藩士になり、京都・江戸などを奔走しました。元治元年(1864)の禁門の変で前田慶寧が退京したとき、幸三は勤王の意見を述べたことから捕らえられ、処刑されました。
その後、江戸幕府が倒れ天皇を中心とした明治新政府が樹立されました。金劔宮にお参りの際は、幸三の遺徳もぜひ偲んでみてください。
*尊皇攘夷(そんのうじょうい)=君主(天皇)を尊び、外敵を斥けようとする考え方のこと。
*禁門の変=蛤(はまぐり)御門の変。京都守護・会津藩の松平容保と、形勢逆転を狙う長州藩が武力衝突し、長州藩が敗走した事件。
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